商法と理念

商法と理念

近江商人の商法

近江商人とは他国で活躍した近江出身の商人のことです。
ひと口に近江商人と言っても商売の方法は様々です。
中でも特徴的な商売の方法をキーワードで紹介します。

■天秤棒・・・創業への原点
多くの近江商人は、「近江の千両天秤」ということばに象徴される様に、少額の 資本と天秤棒を肩に行商を始め、京都・大坂・江戸等に大商店を経営するほ どに成功を治めました。豪商と言われるまで成功しても、小商人時代のシンボルとして、商の初心を忘れること無かれと店の間の片隅に天秤棒をかけました。

■行商・・・マーケティングの達人
近江商人の営業活動の原点である行商は、商才を練るためには欠くことので きないものである。各地を歩くことで、その土地の物産や特産あるいは必要としている商品情 報などを積極的に収集していった。行商は商売の極意を学びながら一方で必要な市場調査を自ら行なっていたのであった。

■出店・枝店・・・物流拠点づくり
はじめて行商に乗り込んだ土地で成功すると、すぐに店舗を構えた。 店舗を構えても行商はやめず「三里四方釜の飯を食う所に店を出せ」と需要のある ところに出店を置き、さらにそれぞれの店から枝店をだし、大店舗網を持ち地域社 会に深く根を下ろし、地域の繁栄を図った。

■乗合商い・・・資本概念の導入
個人企業形態でなく、乗合商合(のりあいあきない)・組合商合 (くみあいあきない)がひろく行なわれていた。合資制度による企業体形成で、少ない自己資金で事業が拡大でき、危険分散 を図れたからである。
「共同出資であるよりは共同企業で、信用、得意先、特技、才能など経営能 力を共同にする目的が大きかったように思われる。」
(小倉榮一郎著『近江商人の経営』より)

■薄利多売・・・よい商品をより安く
近江商人は、卸商であるから、得意先もまた商人である。その利益を守ること が営業の重要な秘訣である。売った後で値が上がれば、えられるはずの利益を 捨てて、損をしたようであるが、その方が顧客は喜び、取引の将来が楽しみになる。一取引ごとに極大利益を追求する考え方でなくて、長期的経済合理性の原点に立つのが近江商人の理念である。

■出精金・・・ヤル気をおこさせる管理法
近江商人たちは、西洋の複式簿記と同じ形態の会計システムをすでに江戸時 代に採用していた。厳格な身分制度社会において労働の成果を貨幣に置き換 えて評価する習慣がなかった時代に、資本と利足を保全した上でさらにそれ以上の利益が生まれると「出精金」「徳用」といって各店の支配人たちに配 分され、使用人の励みになるシステムを採用していった。

■お助け普請・・・身近な不況対策
全国各地に出店していた近江商人の本家は、ほとんどが近江の地にあった。 天候や自然災害に景況が大きく左右された時代、本家の改築や修理などは、出 来るかぎり凶作や不況の時期に行うことが多かった。地域の経済活動活性化を もくろんでのこうした造作を「お助け普請」といわれる。
公共事業の前倒しと何か似通ったものを感じる。

■定宿帳・・・ネットワーク活用術
近江商人たちは、それぞれが競争相手でありライバル関係にあったが、郷党 意識は強かった。他国へ出てわらじを脱ぐ宿は「日野定宿」「八幡定宿」な どという看板がかけられた旅篭で宿泊し、荷物を預けたりそれぞれの土地の 情報交換を行なった。競争しながらも協調していく必要性を充分認識してい たのである。「定宿帳」は命の次に大事なものとして大切にしていた。

■進取の気性・・・ベンチャー精神
倹約と勉強によって薄利を重ねて財を成したのが多くの近江商人の商法で あったが、進取の気性で北海道との交易を進展させた西川伝右衛門は、決 断力と実行力で誰もが手掛けていない事業を展開した。「余財があれば、 必ず北海道の振興に投ぜよ」といい伝えるところに不動の決意がうかがえ、 成功に導くことができた。

■本家勤め・・・江戸時代のマネージメントスクール
有能な後継者を育成しておくことは現在も最大の関心事である。
初代なら、自分の目の黒い間は子息達をきびしく教育するという方法を選ぶ 人も少なくなかったが、それ以後では、親の手許では甘くなる。そのような 場合、将来主人たるべき子息や自店で幹部と目をつけた者に「本家勤め」の 機会をつくることが多かった。その間店を離れ、江州の本家へ上るのである。

■諸国物産廻し・・・商社活動の原点
上方や近江の地場産業の産物を関東や東北をはじめ全国各地へ「持ちくだり」、 関東・東北の紅花や生糸など各地の産品を上方へ「登せ荷」をした商法。需要と価格の地域差に目を付け、巧みに諸国の産物を交流させ、あらゆる方法で大型流通を行なった。まさに今日の商社活動で、しかも双方の土地の 産業開発、発展を図るという機能をも合わせもっていた。

近江商人の理念

近江商人たちが自己生涯の指針として座右に置いた言葉
子孫への戒として書き残した家憲・家訓より

しまつして、きばる

始末第一に、商売を励む(日野 中井源左衛門家)
出精専一之事   (五個荘 松井久左衛門家)

今日まで続く老舗の家訓や店則の中で、特に近江商人は【しまつして、きばる】を共通の理念としてきた。
近江商人の商いは、少ない利益でも、よい商品をたくさん売ることにより、もうけを増やして行く薄利多売の商いであったことから、日々【きばって】働いたのである。
つまり、薄利であるから【しまつ】を必要とし、多売するために【きばる】事が求められたのである。

先義後利栄

【義を先にし、利を後にすれば栄える】商いは、利潤を追求する事が第一ではなく、常についてまわるものであるという考え方は、近江商人に共通した理念である。
とくに近江八幡西川利右衛門の家訓では、義理人情を第一と考えている。
利益追求を、後回しにする事が、商売繁盛となり、やがて利益が生まれ、その家は栄えると言っている。

お助け普請

【身近な不景気対策】全国各地に出店していた近江商人の本家はほとんどが、近江の地にあった。
天候や自然災害景況が大きく左右された時代、出来る限り凶作や不況の時期に行う事が多かった。地域の経済活性化をもくろんでのこうした造作を地域では【お助け普請】といわれる。公共事業の前倒しと似通ったものを感じる。

出精専一

【出精専一之事、無事是貴人、一心、端心、正直、勤行、陰徳、
不奢不貧是名大黒奢者不久】
出精、せいを出して働く事が第一で、奢ることなく、ケチることもない生活態度が【大黒】である。天秤棒が近江商人の勤勉さを表す象徴とされた。

利真於勤

【りはつとむるにおいてしんなり】「人生は勤るに在り、‥‥勤は利の本なり、よく勤めておのずから得るのは真の利也」
日野 中井家家訓より
投機商売、不当競争、買い占め、売り惜しみなどによる荒稼ぎ、山師商法や政治権力との結託による暴利ではなく、本来の商活動にはげむというのが【勤】の意味である。

陰徳善事

【陰徳とは目にみえぬかげの間にて人のためになるよう‥‥】陰徳という語が近江商人の家憲、店頭などには数多くでている。
成功した実業家が巨額の寄付を社会貢献のために、名も告げず投げ出すという陰徳の精神は理解されなくなっているが、それでも陰徳の精神は近江商人の間では実在したし、今日でも変わっていない。

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